清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会のブログです。イベントや川の様子をお知らせします。手渡す会のHPはこちら↓ http://tewatasukai.com/
by tewatasukai
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意見書の提出
報告が遅くなって申し訳ありません。
手渡す会より、 2019年5月14日国土交通省九州地方整備局と長熊本県知事に下記の意見書を提出いたしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2019年 5月14日
国土交通省九州地方整備局長 伊勢田敏殿
熊本県知事 蒲島郁夫殿
意見書
∗∗∗ 球磨川水系流域の災害防止対策で最も重要な課題は
全流域の山地の保全と球磨川水系の再生である ∗∗∗
荒瀬ダム撤去の成果を原点にした防災対策協議会に切り替えることを望む
清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会
共同代表 緒方俊一郎
共同代表 岐部 明廣
子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会
代表 中島 康
はじめに
川辺川ダム建設中止と同時に始まったダムによらない球磨川水系の治水対策の検討はすでに10年を超えたが、いまなお足踏み状態が続いている。
これは、流域住民が自然の営む豊かな球磨川水系を守るためにダム建設に反対し、川辺川ダム建設中止を実現させたことや、球磨川水系の流域において現実に発生している災害の事実などを全く無視し、ただただダム建設を前提とする基本高水治水にしがみついている国交省の姿勢に起因している。
川辺川ダム建設中止に至るまでの経過を踏まえるならば、ダムによらない治水対策ではなく、自然豊かな球磨川水系再生対策協議会でなければならなかったはずである。洪水を流すための用水路に転化させるようなダム代替案をつくり出すことを願ってダム建設に反対したのではないのだ。
私たちが求めているのは、流域の災害を防止することも含めた山地の保全と球磨川水系の再生である。川から自然の営みを奪い取り、川を破壊する建造物の撤去・土石流や山地崩壊を引き起こしている建造物の撤去は急務な課題であるのだ。荒瀬ダム撤去は球磨川再生と流域の災害防止に絶大な効果を発揮してくれたことを流域住民は体験的に深い認識を獲得している。今後の取り組みは荒瀬ダム撤去の成果を原点にした防災対策協議会に切り替えることを望む
[Ⅰ] 私たちはなぜ自然豊かな川の再生を求めるのか
── 近年における豪雨災害史も私たちの考えを後押ししてくれている ──
球磨川の流域住民である私達は、球磨川流域に発生している災害と直接向き合って暮らしている。この流域で多くの命が奪われた災害は、すべて川ではなくて山にあるということだ。土石流と山腹崩壊だ。
ところが、国交省はこのような災害もダム建設で救えると主張し住民討論集会でも大きな議論となったが、今なお、この馬鹿げた基本高水治水の考えを最善の災害防止対策と考え続けている。10年かけて、何も対策がつくれない原因はここにあるのだ。また、1965年に人吉市で発生した水害から災害防止に何が大切であったかに関する事実を学びとろうとはせず、ただ被害の大きさだけを煽りたてることしかしないことにも原因はある。
1965年の人吉水害は防災に何が大切であるか、多くのことを私たちに教えてくれている。その一つは、この水害を引き起こした原因は、人吉より上流に建設された連続堤防と市房ダムという基本高水治水そのものが水害をもたらしたという事実である。
二つ目は、いまは球磨川の川底となっている矢黒町の亀ヶ淵地区の住宅は一軒を残し、全部が流されてしまったにも関わらず死者は1名でしかなかったことである。流域住民の避難活動や救助活動が発揮できたのは、日頃の暮らしの中に川があり、川沿いに暮らす暮らしの知恵を身につけていたという事実である。2015年発生した鬼怒川の堤防決壊による氾濫時には航空機までもが救出に動員されたが、人吉市では流域住民の力のみであった。
2018年に起きた岡山県の堤防決壊や愛媛県のダム放流が引き起こした甚大な被害を出した災害と比較して決定的な違いは何であろうか。
1954年当時の人吉の住民の暮らしの中には川があったということだ。川が氾濫するのを敵視するのではなく、被災しながらも多くの恵みをもたらしてくれものと受け止め川と共に暮らしていたのだ。
だから、住民は主体的に雨の降り方を観察し、川の増水の仕方を観察し、避難の仕方を決めていた。これが川の流域で、川と共に生きる人々の意識であったのだ。安全と安心を売りにする連続堤防やダムが流域住民の暮らしから川を奪い取ってしまい、川と共に暮らす知恵を奪い取ってしまった結果が鬼怒川であり小田川であり、肱川である。非難されるべき対象は暮らしから川を奪い取る治水や利水の技術である。
[Ⅱ] 国交省自らが「1/1000」で基本高水治水を破綻させた
2015年に発生した鬼怒川の堤防決壊による災害をきっかけに国交省は住民の防災意識の欠如を問題にするようになった。しかし、流域住民の防災意識を奪ったのは国交省が安全神話の名のもとに推進してきたダムと連続堤防である。防災意識の欠如は、危険な氾濫原まで宅地として開発を進めさせた上、流域住民の暮らしから川を奪いとってしまったことに起因しているのだ。
ところが、国交省はこの重大な事実に蓋をし、住民の防災意識の欠如だけを取り立て、堤防決壊による氾濫が引き起こした被害にもかかわらず、住民の防災意識の欠如を被害の原因に仕立ててしまったのだ。
2015年の12月には早々に「水防災意識社会再構築ビジョン」なるものを策定し、「甚大な災害が起きた原因は治水の技術の進歩により住民の防災意識が無くなった事にある」とまで言い切った。
この事実に反した無謀な考えを住民に押しつけるため、国交省は水防法の改変に取り組んだ。具体的には1/1000の雨を持ち出し、人吉市や八代市を壊滅させ、「自己責任で行政の指示に従って主体的に避難せよ!」と言いだした。
実際にはどのようなことが行われているか、人吉市鬼木町在住の人の場合を例に紹介しておく。真夜中、大雨が降っている最中、家族皆の携帯が鳴り、避難指示が出る。寝具や食糧は各自持参せよとの事。避難先は鬼木町で一番氾濫
危険地帯に建設されているコミュニティーセンターだ。そこへ行くためには橋を渡らなければならない。安全のためには絶対に避難してはならない場所なのだ。
それだけではない。球磨村からも、相良村からも、錦町からも、あさぎり町からも避難指示が入ってくるのだ。もし、この町村の指定した避難場所に行こうものならたちまちよそ者で門前払いになるだろう。
なぜ、こんなデタラメなことが平然と行われているのだろうか。それは、基本高水治水そのものの本性に根差しているのだ。現実に発生している災害の事実を無視し、想定した基本高水という洪水をどう処理するかという意識しかないからである。この具体的な証拠はまさに球磨川治水対策協議会の提起された治水対策案に反映されている。
流域に発生している災害の具体的な事実を無視し、流域住民の暮らしを無視し、流域住民が球磨川水系と共に暮らしてきた歴史を無視し、川とはいかなる自然であるかを問うこともなく、ただただ、基本高水という洪水の数値処理だけに振り回された現実性のない治水対策案でしかない。
肱川に野村ダム建設を推進した村長が「国交省がダムをつくれば流域は安全だといったから推進した。私にはなんの責任もない」と発言していた。これこそ、基本高水治水とはこのようなものでしかないことを物語ってくれた姿であった。
自然豊かな球磨川水系の再生を願う流域住民と膝を交えて話し合うことなしに、流域住民の防災を確立することはできないであろう。
[Ⅲ] 生態系の豊かな山林と球磨川水系の再生こそ優れた災害防止対策
手渡す会は川辺川ダム建設に反対する立場を自然のままの川を守るためであるとした。そこには重要な二つの側面があった。一つは、流域住民の暮らしと歴史を育んでくれた豊かな自然の営みのある球磨川水系を未来に手渡す責務があるということである。そして、もう一つはこの球磨川水系において甚大な災害が発生させたのは連続堤防とダムであるという事実があるということだ。
治水対策イコール災害防止という図式が独り歩きをしている中、2018年には四国や中国地方においてダムの放流・堤防決壊・砂防ダムの崩壊などにより流域に甚大な災害を引き起こした。治水対策イコール災害防止が崩れてしまった年でもあった。2012年には堤防で都市開発が行われた熊本市の竜田陣内地区は白川の氾濫で水害に直面した。堤防が水害をつくり出している典型的な事象の一つである。
また、自然を無視した山地開発が広島県や愛媛県などにおいて甚大な土砂災害を引き起こした。2012年には熊本県の阿蘇で、2014年には東京都の大島で、2017年には福岡県の朝倉で山地崩壊の甚大な災害が発生し続けている。
その上、すでに触れたことであるが、1/1000の雨でダムの機能は無くなり、堤防はすべて崩壊してしまい、流域全域が甚大な災害に遭うとしてしまった。
砂防ダムで山地崩壊は防ぐことは出来ない。川の開発が川による災害を呼び込み、山の開発が山の災害を呼び込んでいるのだ。この事実を知ることが流域の災害防止の第一歩であり、基礎である。
球磨川水系流域の災害問題を考える上で重要な資料がある。住民討論集会に住民側が提出した資料である。

この土石流や山地崩壊により、多量の土砂が連続堤防で固定してしまった川に流れ込むため、川は二重の被害を被っている。川は川の固定化と多量の土砂の流れ込みで破壊され続けているのだ。このような川の破壊は甚大な災害を引き起こす。その典型が岡山県の天井川となった小田川である。
基本高水治水で川の流域を開発する愚かな行為をやめることが、そして奥山の開発を止めることが災害防止の唯一の対策である。
そして、暮らしの中に自然豊かな球磨川を取り戻し、川と共に生きる知恵を住民自らの知恵として身につけることである。これは、川の流域に暮らすことを選んだ住民に自然が課した責務であるのだ。
この課題に対し、自治体はどう応えるべきか。小中学校や地域の公民館に住民に開かれた資料室を設置することである。自分が居住している土地はどのような災害のリスクを背負ったところかに関する具体的な情報を身につけるようにすることを目的とした資料室である。
この目的を果たすためには、最低、地域の地形・地質と災害の歴史を結び付けた誰にでも解かる具体的な内容を展示しなければならない。1/1000の大雨でオオカミ少年的対策をすることではなく、居住する地域の自然が暮らしの中にあるようにすることを防災の一番の大切な基盤に据えるべきである。
最後に、球磨川治水対策協議会参加のメンバーは次に述べることを脳裏に留め置いて頂きたい。それは、2018年7月豪雨による死者は最も多いのが土砂災害であり、続いて堤防決壊によるものであり、そしてダム放流によるものであるということを。この死者の数値こそが流域の山地の保全と自然豊かな球磨川水系の再生こそが重要であることを物語っている。